

■講話、講演等:
講話、講演等を生業とする意図がないため、ガユーナ・セアロ本人またはCealoWorld が講話会等を主催する事は基本的になく、主催者からの希望と依頼により開催される。依頼者の意図が、非営利であること、他との平和共有であること以外は依頼を受けない。
演題や内容をあらかじめ用意することはしていない。主催者の思い、参加者の意識により即興で話をすすめる。当日、会場に集まった参加者が、任意で用紙に質問を記入し、ステージ上で即答しながら会を進めることが基本となっている。主催者の希望により、瞑想を行うこともある。
ガユーナ・セアロが人々に伝える本質をある程度共有または認識し、奉仕を申し出る音楽家等に、場合によってセアロ自身が音楽演奏等を会のプログラムの一部として企画者に提案することもある。
■瞑想/断食等:
心、精神の平安、向上や、平和への祈りを希望する人々に対し、依頼に応じて講和会などで瞑想を行うことがある。アメリカでは、瞑想を目的とした会の依頼が多く、リトリート(合宿)なども各地で行われており、現在日本でも奨励している。しかし、そもそも個人のものである瞑想を他人に体系立てて伝授するということはないという理由から、瞑想や断食を技術、手法として教えることはしない。
そして、これらの会も非営利で行うこと、自立した意識と平和共有の目的で行われる会以外は依頼を受けることもなく、実施することもない。
合宿形式のリトリートは、現在日本で「慈心会」が各地の任意協力者と共同で実施している。
※慈心会 : ガユーナ・セアロの後援会
■宗教団体組織等:
”NPO/NGO”のページに示す団体以外は、ガユーナ・セアロ自身は一切の組織を持たず関与しない。
自らの道に正しく、必要であれば必要な間のみこれらの団体が存在するだけで、
僧侶であっても教団組織形成や宗教布教活動を一切目的とせず、専ら自らの慈悲の旅を歩むのみである。
■寺、居住等:
現在のところガユーナ・セアロは、世界の人々に直接会い必要なものに形を変えて届け、人々を直接つなげることを自らの布施行為としているため、特定した場所、寺や家に長期間住まうことはできない。
ひとつには、スケジュールの都合により、1箇所に留まる時間が極めて少ないこと、そしてもうひとつは、手に入ってくる全てのお金を孤児や貧しい子ども達の支援に使いたいという本人の願いからである。
寺は、ミャンマーのヤンゴンにガユーナ(慈悲の)寺院、メッタ(自愛の)寺院のほか、数箇所の村へ建設寄付している。それは、信仰厚きミャンマーの人々が寺を心の拠り所とし、孤児や貧しい家庭の子ども達が住まい、学びの場とされていることが寺院を布施する理由である。
これらの寺のうち、ガユーナ寺院、メッタ寺院は隣接し、ガユーナ・セアロが親しくしている僧侶によって管理されており、ガユーナ寺院には、ガユーナ・セアロの部屋がある。しかし、ガユーナ寺院に長期滞在することはほとんどない。
2006年1月より石川県小松市の山中に古民家を使った弥勒寺(精舎)と名づけた拠点ができた。日本(特に北陸地方の人々)、アメリカの支持者によって実現した。日本の人々が平和活動の拠点として活用できる施設(ダイレクトアクションセンター)として開放、支援物資管理や国際協力NPOのアジア人研修合宿等に活用。2007年9月より、同県内住宅市街地に拠点を移動。(ハートスペース)ガユーナ・セアロに協力する奉仕者が中心となって、主にNPO事務局、物資やグッズ管理所として施設活用している。
(ミャンマーの寺への参拝訪問について)
ミャンマーでは、寺院は僧侶が厳しい戒律の下、修行し居住する修道の場であり、お参りするところではない。
ガユーナ・セアロのガユーナ・セッティ寺院も、自身の精舎(修行者の居住地)である。留守中、在舎中係らず連絡と約束のない訪問はできない。
ミャンマーで寺へ訪れるのは、純粋に僧侶へ布施をしに訪れる奉仕者か、修行者、または何らかの祭儀のためのみである。参拝や瞑想の希望者にはミャンマーに数多くあるパゴダ(仏舎利塔)や聖地を訪れることをお勧めする。